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2014年8月13日 (水)

えびの市白鳥神社④~2本の巨木が奈良大仏殿を支える

えびの市の白鳥神社境内で掘り倒された 2本の巨木が,奈良東大寺大仏殿の屋根を支えてます。

 

Photo
                                                                         (白鳥神社  11月初旬)
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                                                                       (白鳥神社境内の説明)

1本目は長さ13間(23.6m),元口4尺3寸(1.3m),末口3尺3寸7分5厘(1.0m),重量6183貫(23.2t)
2本目は長さ13間(23.6m),元口4尺1寸(1.2m),末口3尺7寸5分(1.1m),重量5435貫(20.4t)

白鳥神社から国分新川口まで25里(98.2Km)を1日860人の人夫と牛40頭で115日運んだ。
(860人×115日=延べ98,900人 ≒ 10万人,40頭×115日=延べ4,600頭)

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                                                              (2007.11.11白鳥神社に展示のパネルから)
白鳥神社から鹿児島湾までの詳しい経路は不明です。以下は,私の推測です。

2本の巨木は9月に掘り倒されたあと,根切りや枝落とし,必要な長さまでの切断等運搬までの準備を行った上で,1月の積雪後にえびの市の白鳥地区や尾八重野(おべの)地区の平坦地まで下ろした。

この平坦地は,加久藤カルデラ(34万年万前の大噴火で形成された)が湖であった頃の湖水が阿波(あば)の狭窄部(湧水町吉松と栗野の境)で捌けていく過程でできた河岸段丘になります。

白鳥山中腹の白鳥神社から平地に下すには,積雪してた方が滑らせて行けて都合が良いので,雪の上を下ろします。

平坦地に下りてから,西に進み,えびの市の加久藤か真幸で川内川に流します。
川内川の阿波の狭窄部(加久藤カルデラの湖水が捌けた場所,吉松と栗野の境,堰があるところ)の両側は大変険しい場所で,左岸に旧国道が通ってますが,ここを巨木が通って行くのは困難なので,川内川に巨木を流さないと奈良まで運ぶ港まで行けません。

現在は,国道268号も九州自動車道もこの場所をトンネルで通してます。

阿波の狭窄部を通過した2本の巨木は,流れが緩やかになった栗野で陸揚げします。
このまま,川内川を流して行って,河口の川内で船に積んで行きたいところですが,伊佐市大口の曽木の滝があるので,陸揚げせざるを得ません。

大口の曽木の滝は,加久藤カルデラができた34万年前の大噴火による火砕流が固まった溶結凝灰岩でできてます(加久藤カルデラ中心部から直線20Km)。
曽木の滝は霧島ジオパークのジオサイトではありませんが,飛び地といえましょう。

(都城の関之尾滝・ごろが轟(とどろ),曽於市財部の大川原峡・桐原の滝・三連轟(とどろ),小林の三之宮峡・陰陽石,須木の滝,えびの市の毘沙門滝も曽木の滝と同様に34万年前の加久藤火砕流で出来てます。これらの滝や峡谷は兄弟になります。)

栗野で引き揚げた2本の巨木を鹿児島湾まで運びますが,川を使うとすると国分に河口がある天降川に流すことになります。
栗野から横川,牧園を通り,妙見温泉の先で天降川に流し,国分の河口まで行ったのでしょうか?

(wikipedia から 要約)
2本の虹梁(こうりょう)(大きなはり)はそれぞれ長さ23.5メートルのアカマツが使われており,
1704(宝永元年)日向国の白鳥神社から大和国の東大寺まで延べ10数万人が参加し9ヶ月をかけて運搬されました。

1703年(元禄16年)9月 白鳥神社で2本の大木を堀り倒し。

1704年(宝永元年)1月7日に白鳥神社を出発,尾八重野(えびの市),加久藤(えびの市),吉松,牛の瀬戸(栗野),横川,鳥越(隼人)を経て新川口(天降川河口)まで運ばれた。

新川口に隣接する浜之市(隼人)で筏に組まれ,鹿児島湾を6艘の船に引かれ3日間をかけて鹿児島港に到着。

志布志の商人山下弥五郎が観音様のお告げを受けたとして,畿内までの輸送を買って出た。

弥五郎は船底の栓を抜いて船を沈め,翌12日の満潮時に2本の虹梁材を船の上に配置し,干潮になるのを待って船底の栓を戻し,船の中から水をくみ出すことで虹梁材の積載に成功した。
この方法は弥五郎の娘が夢で観音様から教えられたとされている。


6月20日に鹿児島港発,山川港経由で7月12日神戸港,7月16日大阪の伝法川河口に到着。
大阪からは船で虹梁材を挟み,淀川と木津川をさかのぼり,8月10日木津に到着。

8月19日木津で台車に乗せられ,東大寺までは市坂と奈良坂を越える陸路を人手によって運搬され,1本目は9月2日,2本目は9月5日に東大寺に搬入された。

大仏殿への取り付けは1705年(宝永2年)3月に行われ,4月に上棟式。大仏殿は1709年(宝永6年)に完成し3月21日に落慶供養が行われた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA%E5%A4%A7%E4%BB%8F%E6%AE%BF%E8%99%B9%E6%A2%81
(右クリックで,「新しいタブで開く」を左クリックして下さい。)


【月刊 京都史跡散策会】HPが参考になります。http://www.pauch.com/kss/g002.html
(右クリックで,「新しいタブで開く」を左クリックして下さい。)
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                                                                                (2013.6.2 奈良 大仏殿 【国宝】)

大虹梁は,正面から奥に向かっています。
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                                                              (2007.11.11白鳥神社に展示のパネルから)

大仏殿で,現在も大虹梁が屋根を支えています。鉄骨で補強されています。
下の写真の赤い点の場所に,大虹梁があるとのことです。
20071111_3
                                                                (2007.11.11白鳥神社に展示のパネルから)

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                                                                      (2013.6.2 大仏様 【国宝】)
大仏様を拝み,天井を見上げ,天井の上の見えないところで白鳥神社から運ばれた2本の巨木が虹梁として,大仏殿の屋根を支え,大仏様が雨露にさらされるのを防いでいると思うと感慨深くなります。

白鳥神社は地元の神社で,50数年前の正月7日数えの7歳の時の七草祝いに白鳥神社に参拝しました。また,小学校の遠足で,学校から2,3時間歩いて行きました。当時まだ舗装してない車道から途中,山道に入り,神社の裏手に着いたのを覚えてます。今では通る人もいないので,その山道はわからないでしょう。

鹿児島県のHPでも紹介されています。
鹿児島県にとっては,霧島山地域はすべて地元ということでしょう。宮崎県えびの市の白鳥神社の話をとりあげてます。
http://www.pref.kagoshima.jp/an01/chiiki/aira_isa/chiiki/kankou_information/jimanbanashi0030.html
                  (右クリックで,「新しいタブで開く」を左クリックして下さい。)

白鳥神社から東大寺への2本の虹梁の運搬は薩摩藩が担いましたが,この後,享保年間には新燃岳噴火が噴火し,その後,宝暦治水事業となり,薩摩藩の財政は困窮しました。

薩摩藩編纂の三国名勝図会(1843年)には,この2本の虹梁の話はありません。宝暦治水事業と同様,薩摩藩の歴史からは消えたみたいです。薩摩藩の歴史から消えたため,詳しい搬送ルートが不明です。
薩摩藩にとっては,自分には関係のないことで,奈良のために人・物・金をつかわされた迷惑なことだったのかもしれません。

白鳥神社から国分まで延べ10万人で日当1万円とすると,人夫賃だけで10億円となりますので,奈良までの運搬費はかなりの費用になります。  牛は延べ4,000頭です。

 

<この頃のできごと>
1703年(元禄16年)9月 白鳥神社境内で2本の巨木(奈良東大寺の大虹梁)を堀り倒し
1704年(宝永元年)1月 白鳥神社出発,9月大和国の東大寺着

1716年(享保元)~1717年 新燃岳噴火

1754年(宝暦4年)2月から1755年(宝暦5年)5月 宝暦治水 幕府の命を受けた薩摩藩による木曽三川治水工事

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